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植物の病気の話

第14話 イネのいもち病(イモチ・ビョウ)

JR岩見沢駅は北海道屈指の鉄道拠点でした。近隣の産炭地から石炭を積んだ貨車がここに集結し、各地へと運搬して行きました。現在の広大な駅構内から、往時が偲ばれます。構内の南端・札幌に向かう沿線に、ひっそりと石碑が建っています。当時猖獗(ショウケツ)を極めたイネの「稲熱(イモチ)病」防除を記念したものです。昭和10年10月に天皇が防除の成果を実際に見学されたと記されています(写真1)。

▲(1)聖蹟記念碑:生物学者でもあった昭和天皇は、いもち病防除の成功の実見を強く望まれたという逸話がある

《病 徴》

イネのどの部分に症状が表れたかで、「葉いもち」、「穂いもち」、「節いもち」と呼び分けされます。

葉いもち:7月中~下旬に発生します。小さな病斑が拡大し、周縁が赤褐色、外周は黄色、内部は灰白色の病斑となります。これが葉いもちの典型的な病斑で、「慢性型病斑」と呼ばれます(写真2)。病斑上に胞子が形成され、すべていもち病の伝染源となります。病気にかかりやすい品種が、栄養過剰となったり雨が続いてイネの抵抗力が弱くなると、「急性型病斑」が形成されることがあリます(写真3)。この症状を示す葉の上には極めて多量の胞子が形成されます。つまり伝染源として最も恐ろしい病斑なのです。この急性型病斑が早い時期に発生すると、イネは白く枯れ込んでしまします。「ずり込み」と言い、江戸時代から最も恐れられてきました(写真4、5)。収穫は皆無となるからです。病斑型は、その後の病勢の進展を予測する上で重要な指標です。

穂いもち:穂いもちとは穂首いもち、枝梗いもち、籾(モミ)いもちなど、穂が侵されたいもち病の総称です。穂首はイネの穂の付け根、枝梗(シコウ)は籾の付着のことです。褐色の病斑が生じてさらに症状が進むと、穂が白くなったり、稔実不良(米粒のできが悪くなること)を生じます。穂の出始めには穂首が、後には枝梗が侵されやすく、早い時期に侵された場合ほど被害は大きくなります(写真6)

節いもち:はじめ節の表面に黒く、くぼんだ小斑点が現れ、のちに節全体が黒変し、節の部分から折れやすくなります。節から折れて倒伏してから病気に気づくことが多いのです(写真7)。

▲(2)「葉いもち」:慢性型病斑

▲(3)「葉いもち」:
 急性型病斑。激しい発生が予想される

▲(4)(5)「ずり込み症状」:画像中央部の白く枯れ込んでいる部分

▲(6)「穂いもち」:穂首(ホクビ)、枝梗(シコウ)、籾(モミ)表面が褐色~白色になっていることに注目

▲(7)「節いもち」:茎の関節状の部分が「節(ふし)」。黒く変色している

《伝染経路》

第一次伝染源は被害わらと種もみです。病原菌は菌糸の形態で乾燥したわらやもみ内で越冬し、分生子(=胞子)をつくります。胞子は飛散してイネに付着、発芽、侵入して病斑ができるのです。この病斑上の胞子の飛散こそ、水田の中でいもち病を蔓延させる主役なのでした。

《総合的な防除》

薬剤防除にあたっては毎年の発生経過を十分に把握するとともに、天候の推移に十分注意する必要があります。さらに水田をよく見回って葉いもちの発生状況、イネの葉色などの生育状況を観察し、防除の要否、時期を決めなければなりません。
冒頭の記念碑は、病原菌の伝染経路などを十分に把握した対策により、いもち病の防除が成功したことを顕彰したものです。北大農学部・植物病学研究室が、その研究成果を基礎に立案した我が国初の総合防除対策です。これを農業者・農業技術者などが一体となって実施にあたったのでした。

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