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植物の病気の話

第22話 研究余話(1)

 年号が平成から令和となって、もう2年目。今年は新型コロナが、感染症の脅威をいやというほど人間に再認識させている。植物の病気はほとんどが感染症(=伝染病)なので、おおいに植物の病気について語る機会のようだ。しかし時流に便乗するようで、気が進まない。
 編集者からは、じわじわと責められ、ついに「研究余話」を書かせていただくこととする。いずれも、過去に書き記した小文を、本誌掲載にあたり一部修正したものとなる。末尾に初出の年月を記した。

《 人生足別離 》

 4月は転勤や転校の時節で、別離と出会いが交錯する。別離などとは大袈裟だけれど、「人生別離足(オオ)シ」という言葉がふっと頭に浮かんでしまった。唐詩選に勧酒(酒ヲ勧ム)という作品がある。この句はその作品の一節だ。原文の韻律も素敵で良いのだが、短編小説の名手・井伏鱒二の口語訳が、また別の飄飄乎(ひょうひょうこ)とした詩になっている。
 “コノ杯ヲ受ケテクレ/ドウゾナミナミツイデオクレ/花ニ嵐ノタトエモアルゾ/「サヨナラ」ダケガ人生ダ”
 別れと酒。古来この詩が日本人に愛され、現代日本人が演歌を愛する所以(ゆえん)もこの辺りに由来するかと思う。
 平成4年4月、それまで11年住み慣れた中央農業試験場から、北見農業試験場に勤務することとなった。途中2年間の稲作部(岩見沢市)勤務も含めて、そのほぼ全期間にわたり、土壌病害を中心とする現地試験に関わり続けた。アスパラガスの茎枯病・衰退現象、食用ユリの根腐病証、アズキ萎凋病。土壌病害が現地優先となるのは当然だった。研究内容のすべてが、病気を発生させる土(病土)に左右されるからだ。
 病土が仲立ちとなって、人との出会いが生まれる。その連続の中で共同研究の原型も確かめられたように思う。農家、現地の農業改良普及所、それに研究者が全力投球する。そこからこそ、成果が生まれ信頼関係もでき上がったのだった。南羊蹄や伊達などの、数多くの現地試験でそのことを教えられたのである。前出の詩句ではないが、時に酌み交わす酒も、共同研究を深める、とっておきの潤滑油ではあった。最も信頼するに足る友人が、下戸だったのは不思議としか言いようのないジョークではあったけれど。
 仕事で何度か泊まった訓子府は、夜の星の美しさが印象深い。かねてから敬愛する、数人の方々に会えるのも待ち遠しい。しかしながら、病理研究者の悲しい性(さが)で、作物の病気との出会いにもまた、期待と不安で胸が騒ぐのである。
(平成4年4月)

▲北見農試・初夏;北見農試研究庁舎全景

《 悲愁の美 》

 あきこちゃんへ。落ち葉にも香りがあるんですね。そんなこと、すっかり忘れていました。
 家から研究室までは、ゆっくり歩いても7、8分の僅(わず)かな道なのですが、その道沿いの木々が、さかんに枯れ葉を散らしています。朝、この道を歩くと、落ち葉の香りが、ひんやりした風に舞っています。
 この前送った室生犀星の「津の国人」、すらすら読めたとのこと、驚いています。中学生に勧めるには、少し難しかったかと思っていたのです。でもよく考えてみると、平安朝から材料をとったこの本のみずみずしい文体は、あなたのような中学生にこそ、すんなり受け入れられるのかも知れません。
 さて別便で、平家物語(全3冊)送りました。3冊を一度にしたのには、わけがあるのですが、そのことはあとがきで書きます。まず声を出して読むことを勧めます。意味がわかるかどうかは気にしないで、どんどん読んでください。まったく不思議なのですが、そのうち感じがつかめてくる筈(はず)です。
 今日送った新潮社版のものは、本文の横にちょっとした口語訳が付いていますから、それがいい手助けになってくれます。少しだけいいところを書いてみます。
 “昨日は東山の関のふもとに轡(くつばみ)を並べ、 今日は西海の波の上に纜(ともずな)を解く。雲海沈々として晴天まさに暮れなんとす。孤島に霧へだたって、 月海上に浮かぶ”(第七十句、平家一門都落ち)
 どう、読みたくなるでしょう。本は最初から丁寧に、というのはこの物語には無用。3冊の中には気に入るところがきっとあるでしょう。その節を何度も読んで欲しい、と思うのです。
 研究室の窓から、前庭の楓(かえで)が見えます。夕陽に生えるその紅葉は、息を呑(の)む美しさでした。この春、訓子府に来て印象に残ったものの一つです。そしてすぐ連想したのが、この平家物語に出てくる場面でした。 そう、非愁美(水原一氏の言葉)の漂う蕭(しめ)やかな感動に、この本を通じて出合ってほしいものです。ではまた。
(平成4年10月)  

▲北見農試研究部長室より前庭;紅葉の頃

 

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